目的と手段
会社の運営に対して問題意識を持っている場合、その問題に対してどういった手法で立ち向かう、行動をするのか。組織に属するいちサラリーマンとしては悩むところ。
1つ目は、会社の方針に盲目に従い、疑問を持たないと決め込むこと。
2つ目は、自分が会社の運営側に回れる日まで日々耐えること。
3つ目は、自分の手の届く範囲で望ましいと思う行動を起こすこと。
4つ目は、自分の意思に賛同する仲間を増やし、改革の波を起こすこと。
2ー3の間には大きな隔たりがあって、思考が根本から異なっている。汚い図ではあるが、マトリクスにすると下記の通り。
1と2は保守派の思考。まずは様子を見ること、機を伺うこと。どちらも受け身な行動である。
3と4は改革派の思考。なによりも動くことが最優先されている。
現在のトレンドは3と4の手法なんだろうと思う。失敗を恐れず走りながら考え、都度修正を加える。私自身がめざしている姿だ。
若いころの行動理念はドストライクで1である。まずは様子見。しかし、最近は少し変わっていると思う。このブロクしかり、どちらかと言えば3の考え方で、行動できているような気がする。図でいうところの①の動き。単なるトレンドに乗りたがりなミーハーとも言えるが。次目指すのは②の動きだ。頑張りたい。
現部署の部下はどうだろうか。
最近の彼らの様子をみていると、3の考え方を信念として行動できていると感じる。だが、苦言を呈するようだが、その変える行動に執着しているようにも感じることが多い。
その行動が、奇しくも現在の運営方針の正しさを補強してしまうのであれば、それは大義のある仕事とはいえない。残念ながら、反逆者の自己満足の行動に成り下がっているのではないだろうか。つまり、会社を変えたいという行動自体を「目的」にしているのではないか。まず動くことはあくまでも「手段」でしかないのだ。その行動に目的は何なのか、意味があるのかを常に問う姿勢が彼らには必要なのだろう。
もちろん、行動を起こす事はとても素晴らしい事だ。自分の若い頃には辿り着けなかった意識・考え方で動ける部下を強く応援したい。リスクを避ける生存本能を持っている中で、何かを変えたいという意識は尊いものに違いないのだから。
まだ若いからで済ますことも出来るだろうが、優秀な彼らだからこそ、その能力を会社を活かすことに発揮してもらいたい。心からそう思う。
愚痴や説教ににならないように伝える方法を考えなくては。
権限委譲する前に考えたいこと。
生産性向上を目的として権限委譲をすすめる方向性を会社が打ち出している。世の中の動きと一致しており、違和感をあまり感じないものの、どこか納得がいっていない。なぜだろうか。
権限委譲による余力を生み出すこと。保守/運用はメンバーもしくは限定職に配分し、生まれた余力でマネジメントや改善業務に従事する。非常に聞こえはいい。
納得がいかないのは、権限委譲の対象としている現在の業務を必要不可欠なものと捉え、継続して行うことを前提としている事だろう。もちろん、人材のポテンシャルを最大限活用したい気持ちはわかるが、我々の真の問題点からズレていると言わざるをえない。幹部によく見せるための資料作成、情報共有を目的とした誰も言葉を発さない会議等、成果に結びついているとは言い難い業務の多さが、我々の問題点ではないだろうか。
それに加え、余剰な人材を抱えている点も問題だろう。月初以外は暇にしている社員、改善を生み出そうとしない、会社の教育不足だけを訴える社員。同じ問題を違う言い方をして仕事をしている感を出すだけで、抜本的な解決に繋がる決断をしない社員。成果を生んでいる優秀な社員もいる一方で、お世辞にもそうとは言えない社員も多い。
余剰人材を抱え、余計な仕事することになった理由は、自分たちの会社が潰れないという意識があることである。我々の会社は世間一般では大きい。利益を稼ぐ部署もあり、一部の部署の業績が悪くても会社全体でみれば問題がないように思うことも多い。つまり、社員一人一人が当事者意識を持ちづらい状況になってしまった。典型的な大企業病に掛かってしまったとも言える。
権限移譲によって生まれたリソースを新商品開発、新規投資、コスト削減、戦略立案に配分しようと表向きは謳っているが、自分達の会社の潰れないと高を括る体質が変わらない限り、同じ失敗を繰り返すだけではないか。今までも耳障りの良い経営方針を掲げて上手くいかなかった理由は、リソース不足だけではないはず。それに気づけないのであれば明るい未来は訪れないだろう。
繰り返しになるが、現状は余剰な人材で、余計な仕事をしている状況を改善しない限り、仕事の配分を変えても意味がない。権限委譲も大事な視点ではあるが、無駄な業務、成果に繋がっていない業務を認識し、削減することが最優先。注力すべき業務を再設定することで、現在の余剰人材も削減できるはず。
我々の会社において、人員削減などはタブーに近いような施策なので、そう簡単には実現しないことは重々承知している。それでも、将来のためにも、若手社員のためにも、何より自分のためにも一度検討すべき施策ではないか。
かなり肩に力の入った文章になってしまった。もう少し柔らかく書かなくては。
2019箱根駅伝を見終えて
明日から仕事始めなのに、今日は朝から鼻水が止まらない。仕事モードへ切り替えようと計画していたが、中々予定通りには進まないものだ。しかし、計画から逸れたテンションのまま、久しぶりにブログを更新しようと思えている。こんなロスも「悪くないこと」だと切り替えられる程、精神的に余裕ができるようだ。うん、悪くない。
この年末年始の一番のイベントは箱根駅伝だった。帰省をしない、友人との忘年会、新年会もあまりなかった大型連休は、家でのんびりと過ごすことが多く、スマホをいじる、テレビをみる時間がとても多かった。その中でも、断トツの時間を箱根駅伝に関するニュースを読んだり、番組を視ることに費やしていたように思う。
なぜ、こんなにも自分が箱根駅伝にハマるのか。おそらく要因は以下の通り。
- 陸上をやっていた両親の影響。幼いころから、元旦はニューイヤー駅伝、2日3日は箱根駅伝が、我が家の定番だった。また、テレビを見ながら両親が陸上に関るすることを楽しそうに話す姿を見ているのは嫌いじゃなかった。陸上自体はあまりやりたいと思わないが、見る事は楽しいと思わせる幼い時の記憶は侮れない。
- 選手・コーチの経験。陸上ではない競技(タイムを競う競技)をやっていたので、選手として、自分を追い込む練習の辛さ、才能の重要性、レース前の緊張感など共感できることが多い。回顧しながら見ることが出来るので、惹きつけられる。また、コーチならではの喜び、もど歯痒さ、難しさ等の様々な感情も思い起こさせるのだろう。
- 組織論への興味。去年の秋から、仕事で多くの部下を持つ事になり、大学駅伝3冠&箱根駅伝5連覇を目指す青山学院大学(以下、青学)のチーム作りへの興味が沸いていた。毎年選手が入れ替わる学生スポーツ、さらに、一人の天才だけでは中々勝負が決着しない駅伝では、勝ち続ける組織を作ることは非常に難しい事だろう。その中で、偉業に挑戦する(十分今でも偉業を達成していると思うが)最強チームの組織づくりに関する情報、本番(箱根駅伝)へのプロセス、そしてその結果を知りたいと思った。
青学の総合2位という結果は残念ではあるが、「2位で帰ってきたアンカーを笑顔で迎えるチームメイト達の姿」と「采配ミスと(4連覇していた事による)後ろ向きといえるデータ重視の戦略。チャレンジする姿勢の不十分さ。と述べた原監督の弁」は心に残っている。
組織として、精一杯努力した結果を素直に受け入れられる(自己肯定できる)雰囲気づくり、その上で自責の観点から反省し次に繋げようとする姿勢は、成長し続ける組織として必要なことだと強く思う。明日から少しでも活かせるようにしたい。
自分の思考の軸
毎回同じようなテーマになるのはなぜだろう?
いつも思考の堂々巡りをして時間を浪費している。
客観的に見れば、それは「考えている」ではなく、悩んでいるだけだ。
物事について、思考が先に進んでいれば意味がある。
一歩ずつでも構わないし、論理だってなくても構わない。
何かをすすめることが大切。それはきっとビジネスでも一緒。
7年前に書いている内容と全く同じことに、今も思い悩む自分。
きっとこんな性格だと言うことは誰よりも理解している。
前よりはアウトプットに対する恐怖感は薄れている。
それはアウトプットせざるを得ない経験を積んできたから。
その事実と僅かな歩みを、何よりも自分が認めてあげればいい。
少しでもいいから成長している自分を褒めてあげないと。
自分への期待に圧し潰されてしまう気がする。
世界は広いよ。勿体ないよ。
■
スティーブ・ジョブズ氏が亡くなって、
ジョブス氏のスタンフォードでのスピーチが、再び注目を浴びているようです。
私も過去に動画でそのスピーチを見て、感銘を受けた事を覚えています。
動画を見終わってすぐに、翻訳ページを探してブックマークしました。
君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。
誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。
そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。
心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。
だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです
。
自分の今後に活かしていきたいと強く強く思った。
自分のためで良い。
有限で、最も尊い自分の時間。
その時間をどのように過ごすのか。
見て、聞いて、話して、食べて、寝て、笑って、たまには泣いて。
もっと生きているという実感を感じていきたい。
何十億人分の1の存在として
残りの人生を相対的でなく、絶対的に幸せを感じれるよう過ごしたいです。
事なかれ主義
気を遣うことにもう疲れてしまった。
回んない、回せない。メンドクサイ。
ようやく分かったよ、よくもわるくも自分の責任にしたくない。
大勝も大敗もしたくない。
そんな自分とはお別れ。
事なかれ主義。
よく言われます。世界は自分一人がいなくてもぐるぐると毎日回ります。。
それが現実。と高を括っていたけれど、つまらんよ。
昨日、カフェで70を超えたと思われるご年配の方々が5,6人でランチ。
さらに食後のコーヒーの飲みながらご歓談。
今の年金制度がどうのこーの、あーだこーだ。
地方のとあるカフェで議論をしても変らない制度について語り合う。
改善できるのか?いやできない事は分かってる、でも話すしかない。
もう変えられぬリアルを受け入れているんだよ。
でも、必死に生きてきた。だから最後まで必死なだけ。
きっと、そうなんだよ。
気がつくと、春先に書いた記事と同じ内容。
まだ変化がないという事。
変えよう、まずは明日早起きをしよう。
拡散に指を添えて書いてみた
とめどなく、流れるように書こうじゃないか。
今日は頭が重かった、緊張していると疲れが半端ない。相手の気持ちを深読みして、察しようと
無駄に努力を繰り返し。
自分の評価が気になるのかい、自分よ。それだったらもっとあるだろう。
生き方が。完璧に生きるのもありだし、さらに格好をつけて、背筋をぴんと伸ばしたダンディズムを感じさせる男を目指すとかさ。
レオンに乗っちゃうの俺!?ぐらくの高みまで駆け上がれば良いじゃん。
優しい人、野菜人、似たようなもん、言葉遊び。タラッタラター。
駄洒落で結構。あら、ダジャレって、駄洒落とかくとすごくお洒落。
言葉の響き、だけでなく、文字の姿格好がとっても綺麗。
姿格好といえば、丹治さんだっけ?4階の人。世界観がある、いや違う、筋がとっている、正義感、余計に離れた。
胡散臭い、それは3階の人。間違った、言葉が悪い。。独特な、普遍的すぎる、もっともっと、正しい表現があるだろ。
妖艶、ちゃうちゃう、生々しい、それは俺の欲望。
あー女好き、あー自堕落。天使じゃないよ。悦に酔う、悦に浸る、悦に溺れる、悦に食い殺される、悦に飲み込まれる。
お金ないよ。お金貸してた。帰って来い自分。テンションあげろ、悩む前に動け、リスクを恐れるな、てか殆どリスクなんてないよ。
失うものもない。損失、亡失、滅失、怖くない、何を恐れる、思考があっちゃこっちゃ、拘りなんてなく、個性もなく、
ブルースが頭を駆け巡る、そんな僕は、無個性、個性がないのが個性。誰にでも合わせるよ。難しいことはしたくない。
自由、縛られることなくボーっと、無の境地、常識がないだけ。
もっと相応な環境で生きろよ、無理スンナ、壊れるだけだよ。
そんな人生で良いのかい。
適当に筆をはしらせたらこんなもん。、あんま女の人の話が出なかった。もっと、どろどろとした欲望が出るかと思ったけど、
自分の語彙力のなさへの恐れか、不安か。言葉の言い換えが多いよね。これは地道な鍛錬で、改善するしかない。
頭の回転、地頭の成長。
あたまがグルグル。。鈍器で殴られたんかい。鈍器、金田一少年で金田一が犯人扱いされるときの凶器が鈍器。
てか、凶器なんて、英気か鈍器、飛び道具。
大差ないさ。
目指せ、ウェットなジョーク。